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【読書メモ】本は10冊同時に読め!本を読まない人はサルである!生き方に差がつく「超並列」読書術

がじぇったー (@hackmylife7) | Twitter


です。






感想

マイクロフトの元社長が書いた本。癖がかなり強い本だけど、頭の良い人の本の読み方や考え方は参考になる点が多々あった。

ハイライトした箇所

>>今「庶民」でいる人は、何か行動を起こさないかぎり、確実に「庶民」以下の暮らしを強いられることになる。給料格差は4倍ぐらいになり、しかもそれは自分の子どもにも影響していくのである。<<


>>もし「庶民」から脱したいのなら、今までのような「みんなと同じでいい」という考えを捨てるべきだ。みんなが行く場所には行かず、みんなが食べるものは食べず、みんなが読む本は読まない。それを徹底すればいい。<<


>>もっとも生き方に差がつくのが読書の仕方である。読書の仕方を変えるだけで、高所得階級になれる可能性が出てくるのだ。  みんなと違う読書法――それが、本書で紹介する「超並列」読書術である。「超並列」読書術とは、一言でいえば「本は 10 冊同時に読め」ということだ。物理学の本と江戸の文化を題材にした新書、戦記物のノンフィクションと経営学の論文というように、まったくジャンルの異なる本を同時並行的に読みあさっていくのだ。<<


>>並列」読書術で同時に読むのは、なるべくバラバラのジャンルの本がいい。しかも、極端な本がいいだろう(私は「ぶっ飛んでいる本」といっている)。<<


>>本のジャンルやテーマによって、刺激される脳の部位が異なるからだ。私は脳の専門家ではないので、読書をすると具体的に脳のどの部分が刺激されるのか科学的に検証することはできないが、ベクトルの異なる本を同時に読めば、脳のさまざまな部位を活性化することができるのではないかと思う。<<


>>だが、そうして1冊1冊すべての本を丁寧に読んでいたら、一生のうちに読める本は何冊になるのだろう? 人生は短い。しかも、転職が許されるのは遅くても 40 代までであり、仕事が生活のレベルを決める。<<


>>ビジネスの世界も刻一刻と情勢が変化しており、月に2、3冊しか読めないようでは時代の波に追いつけない。めまぐるしい変化から置いてきぼりをくらっているうちに、気がつけば低所得階級の仲間入り、という事態になりかねないだろう。<<


>>大きくまとめると、人からいわれたことをただ忠実にこなすのではなく、自分の頭で考えて行動できる人がクリエイティブ・クラスといえる。<<


>>クリエイティブ・クラスの人間になるにはどうすればいいのか。  クリエイティブ・クラスの人間に求められるのは、アイデア力、実行力、問題解決力、コミュニケーション能力である。<<


>>テレビのCMや雑誌に載っている広告を見て、「これいいな」と即座に買っているような人はいつまでたっても「庶民」である。<<


>>地頭がいいかどうかは、こちらが話したことを理解するスピードや、こちらが使った言葉を瞬時に別の言葉に変換する能力があるかなどで見分けられる。<<


>>ただし、地頭は残念ながら鍛えられない。親や生まれた環境でほぼ決まってしまうのだ。「三つ子の魂百まで」ということわざがあるように、3歳までの生育環境がその後の自分の生き方を決定しているのである。もし自分の地頭が悪ければ、親を恨むしかないだろ<<


>>何も知らずに行ったところで、何も感じない。つまり、無からは何も生まれないのである。読書をして知識を身につけていれば、感動を得られるだろう。それが、豊かな人生を送る人とそうでない人との差なのである。<<


>>本を読まないと、今現在のことしかわからない。だからみんなと同じ生活を送る道しか見えないのだ。歴史や文化を知れば、現在がすべてではないとわかるはずだ。<<


>>理由を挙げるなら、「庶民」になりたくなかったという一点だけだろう。「はじめに」でも簡単に触れたが、他の人が送るような新人生活を送らず、他の人と同じような場所にも行かず、他の人が読むような本を読まなかっただけだ。<<


>>人生は一度きりだ。目先の事象にとらわれて損得を計算するよりも、いかに人生を遊びつくすかを考えたほうが楽しいに決まっている。笑って過ごすも一生、泣いて過ごすも一生。  どちらにせよ、自分の人生に責任を持てるのは自分だけなのだ。<<


>>勤めてものを生み出す仕事に喜びを感じるほうが、よほど生産的だろう。  成功とはイノベーション、つまり革新性のあることを実現できたときにはじめて成り立つものだ。他の人が思いつかないようなビジネスをして、他の人がマネできない生き方をしてこそ、自分の人生を生きているのではないか。<<


>>本を読む・読まないという行為は、その人の品格に関わってくるのではないかと思う。品格に読書は関係ないと否定する人もいるかもしれない。<<


>>本をよく読む人というのは、地位や収入にかかわらずどこか品性があり、 含蓄 のある話をするので一緒にいても面白い。  人間の品格や賢さに地位や年収は関係ないのだと、つくづく思う。話せばすぐにわかるが、人は中身まではごまかせないのだ。  どんなに偉い人でも、本を読まない人間を尊敬する必要はない。人によく似た生き物、サルに近いんじゃないかと思えばいいだろう。<<


>>最近の若者を批判するときに、「知識で頭でっかちになっていて、自分の考えを持っていない」「わかったような気になっている」ともっともらしいことをいう人間がいる。  だが、この意見は非常に矛盾している。自分の頭で考えるには、そのための材料として知識や情報が必要になるから<<


>>今は年金に対する不安が広がっており、 20 代からコツコツ貯金をしている人が多い。節約をしたり投資をしたり、マネー関係のセミナーに参加して勉強したりする人もいる。  これこそ死んだお金の使い方だと思う。  今から 40 年以上も先の将来を考えてお金を貯めている人は、ずっと老後だけを考えて生きていくことになるだろう。<<


>>するようなものだ。  若いころは貯金をするといっても、せいぜい年間で 50 万円か100万円ぐらいしか貯められないだろう。 20 代から毎年100万円ずつ貯金していったとしても、 60 歳になったとき貯まっているお金は4000万円。一戸建てを買う値段にも満たない。  そんなお金のために 40 年をムダにするぐらいなら、今もらっている給料の半分を本代に費やすべきである。<<


>>使えば簡単になくなってしまうお金と違って、読書で得られる知識や教養<<


>>哲学は生きているかぎりなくなることはない。むしろ、使えば使うほど増えるのだ。  お金に縛られ、追われる人生を送るのか、知識という一生モノの財産を使って、残高など気にしないでいられるほど稼げる人間になるのか。お金とは、使い方次第で生き金にも死に金にも変わるのである。<<


>>月に数冊ベストセラーを読む、というパターンがいちばん 質 が悪い。みんなが読んでいる本を追いかけるようにして読んで、その本の価値観や思想を鵜呑みにし、それをさも自分が考えたことのように錯覚しているような人は、一生「庶民」からは抜け出せないだろう。<<


>>それでも年収が高い人は、自分の価値を下げないために、どんなに忙しくても本を読み、勉強をしているのだ。  では、読書をする時間をつくり出すにはどうすればいいのかというと、答えは簡単だ。今見ているテレビの時間を半分に減らせばいいだけである。<<


>>ムリに何かを犠牲にしなくても、読書する時間はいくらでもつくれるのである。読書は場所を選ばない。だから「合間読み」だけでなく「ながら読み」も可能だ。<<


>>仕事が忙しくて読書をする時間がないのなら、お金を払って読書する時間を買えばいい。それは自分への投資である。その投資は決してムダにならず、必ず役に立つときがくる。<<


>>これまでも何度か「みんなと同じ場所に行き、みんなと同じものを食べ、みんなと同じ本を読んでいる人は庶民だ」と述べてきたが、時間の使い方も同じである。  みんなと同じ時間の使い方をしている人は「庶民」だ。  信じられないのが、行列ができる店で1時間以上も並んで食べようとしている人たち。それもラーメン一杯、パスタ一皿のためにである。<<


>>行列に並ぶ人は自分の頭で考えることができない人である。私なら、行列を回避する工夫をする。誰かに時給を払ってドーナツを買ってきてもらうかもしれない。一見、損をしているように思えるかもしれないが、その1時間や2時間でできることを考えたら安いものである。<<


>>「庶民」から抜け出したいのなら、行列には並ばない、混雑している場所には行かない、この2点だけでも徹底するべきである。<<


>>自分の時間をつくり出すためには、人に仕事をどんどん任せることだ。入って数年の若手社員は人から任される側に回るのはやむをえないが、中堅社員は人に任せて自分の時間を確保したほうがいい。<<


>>仕事を断れないのは、周りの人から嫌われたくないからだろう。あるいは、自分の評価に自信がないからだ。いわれたことは何でもやる「便利屋」でいなければ、社内で自分の居場所を確保できないと思っているのかもしれない。  そういう人は、仕事だけでなく、仕事後のつき合いも断れない。さして学ぶところもない上司のグチを聞かされ、ただ時間を浪費していく。上司のご機嫌をとるか、自分の時間をとるか――その決断をできない人が、多忙を理由にして本を読まない人ではないかと思う。<<


>>読書で養えるのは、人生を楽しむ力である。  たとえば、ある程度の年齢になると歌舞伎通いをはじめる人が多いが、歌舞伎は前知識がない状態で観に行っても、面白さがわからない。ストーリーを知ってから観に行くものであり、何も知らずにいきなり楽しめるというようなものではないのだ。<<


>>まず、チェックすべきポイントは本のタイトルと帯のキャッチコピーである。  面白そうなタイトルが目にとまったら、つぎは目次にざっと目を通す。目次だけでその本の内容は大体わかる。目次を見ても何も感じないなら、その本はそれ以上読む価値はない。<<


>>1冊を全部読まないといい本なのかどうかがわからないのは、読解力がまったくない証拠だ。受験のときに小論文を最後まで読んでいたら問題を解く時間がなくなるので、ポイントだけ拾う読み方を教わった人も多いだろう。それと同じで、本を買う前の段階では短時間で本のポイントを拾うことが必要なのである。  この方法で5冊ぐらい立ち読みをし、気になった本だけ買って帰ればお金もそれほどかからない。週に1回書店に行き、5冊立ち読みすると、買って帰らなくても月に 20 冊の本を読める。年間で計算すると240冊になるから、相当な量の本を読んだことになる。<<


>>ひとつ目はタイトルがかっこいいことだ。「○○ができる方法」「○○力」のようなタイトルの本が並んでいたら、「私はおバカです」といっているようなものである。もし自分の本棚にそういう本があるのなら、隠したほうがいい。  2つ目の条件は装幀がかっこいいこと。  私は「ジャケ買い」ならぬ「カバー買い」をする。白水社のように本を心から愛する編集者が考えたと思えるような、本の世界観を見事に表現したカバーを見たら迷わず手にとる。みすず書房淡交社のような渋いカバーにも弱い。<<


>>を選び、さっそく「超並列」読書術で読みはじめたはいいものの、あまりに多くの情報がいっぺんに集まりすぎてパンクしてしまった、という人がいる。  そういう人は、たいてい几帳面な人で読書メモなるものをつくり、本のタイトルや感想などをまとめていたりする。「超並列」読書術では一度に複数の本を読むので、それぞれの本についての読書メモがつくれず、どこに何が書いてあったかわからなくなってしまう、というのである。<<


>>そんな時間があるぐらいなら本を読め、といいたい。そもそも「超並列」読書術とは、異なるジャンルの本を並行して読むことでベクトルのまったく異なる情報を組み合わせていく読書法なのだから、それぞれの本に分けて感想をまとめてしまったら意味がない。<<


>>情報は頭の中で取捨選択し、整理するものである。すべてを書きとめ、その上で整理をしている人は、情報を吸収しようとする姿勢がないのではないだろうか。<<




>>最近の研究で、働きアリの中には2割の働かないアリがいることが判明している。一日中仕事もしないで自分の体をなめてのんびりと過ごし、他のアリにエサを運んでもらっているそうである。じつにうらやましいではないか。  中堅社員が読むなら、ノウハウ本をおすすめする。ノウハウ本といっても、「部下の育て方」のような本ではない。遊びのノウハウ本である。  料理の本や旅行の本、着物の着つけの本、陶芸の本、文楽の見方の本、釣りの本、スキューバダイビングの本など、何でもいい。自分の趣味を広げるために、片っ端から読むといいだろう。<<



>>つまり、最小限に働き、趣味に生き、定年後は趣味を生かして第二の人生にかける。そのための読書である。  さて、 40 代・50 代のベテラン社員で働きアリという人はどのような本を読めばいいのか。  そんなものはない。もう手遅れなので、何を読んでもムダである。<<


>>読売新聞は世界でもっとも発行部数が多く、販売部数は1000万部を超えるというが、いまだにこれだけの人間が新聞を買っているとは信じられない。  ネットでリアルタイムにニュースの速報が流れるような時代である。毎月何千円も払い、紙の新聞をとっている意味などないだろう。新聞をとっている人は契約を解除し、そのお金で本を買うほうが有意義である。<<


>>読書とは、過去と未来を読み解くための道具である。  読書をしない人には、今現在しか見えない。だからちっぽけな常識にとらわれて人生が行きづまってしまう。  読書をしないのは、真っ暗な洞窟を懐中電灯を持たずに歩くようなものだ。  先が見えないので、崖になっているのか行き止まりになっているのかもわからない。転んでも何につまずいたのかがわからず、怯えるばかりである。  今の生活に満足していないのなら、そして将来に不安があるのなら、まず読書を始めたほうがいい。<<