がじぇったー

お金と家電とプログラミングのブログ

【読書メモ】HIGH OUTPUTがとてもためになる本だった

こんにちわ

がじぇったー (@hackmylife7) | Twitter


です。


このHIGH OUTPUTという本はマネージャー必読書の本と言われていて、
とても良い本だったので心に残った箇所をメモに残します。是非ご購入を。


所感

  • 自分はマネージャーではないけれど、マネージャーが何を考えて働いて仕事をしているか、会社の教育制度や取り組みの(例えば1 on 1 MTG)意味がわかったのでとても良かった
  • 総じて良いマネージャーってこの本に書かれているようなことを自然にやられていると思う

気になった箇所

マネジャーが仕事としてやるべきこと

部下の力を最大限に生かすためにマネジャーは次の点を理解しなければならないとアンディは書いている。「人が仕事をしていないとき、その理由は2つしかない。単にそれができないのか、やろうとしないかのいずれかである。つまり、能力がないか、意欲がないかのいずれかである」。この洞察はマネジャーの努力の方向を180度変える力がある。つまりマネジャーのやるべきことは部下の教育とモチベーションの向上だ。

実はワン・オン・ワンのミーティングはマネジャーと社員のコミュニケーションの基本であるだけでなく、マネジャーが入手しうる組織の知識のソースとしておそらく最良のものだ。私の経験では、ワン・オン・ワンの話し合いを軽視するマネジャーは自分が所属する組織の情報が驚くほど貧弱だった。

マネジャーのアウトプットとは、監督下にあるグループ、あるいは影響力下にあるグループが遂行した成果だということである。マネジャー自身の仕事がきわめて重要なのは明らかであるが、それ自体はアウトプットをつくり出していない。その組織がつくり出しているのだ。マネジャーは意見を持ち、判断しなければならない、命令を与えなければならない、経営資源を割り当てなければならない、間違いを発見しなければならないし……そのほかにもやるべきことはたくさんある。すべてがアウトプットの達成に必要である。だが、アウトプットとそれら活動とは決して同一のものではない。

マネジャーは情報を集めるだけでなくて、情報の提供源でもある。自分の部門の部下や、自分が影響を及ぼしている他部門の者にも知識を伝えてやらなければならない。事実を伝えるということ以上に、マネジャーは自分の目標や重点事項や優先事項などについても、特定の仕事の処理の仕方に関連するかぎり伝えなければならない。

マネジャーの意思決定は、ビジネスが直面している事実や問題点を当人がどの程度よく理解しているかによって左右される。だからこそマネジャーの生活では情報収集が非常に重要になる。その他の活動──情報の伝達、意思決定、部下のための役割モデルになることなど──は、タスク、問題点、ニーズ、自分の部門が直面する問題について、マネジャーが持っている〝情報をベースに〟すべてが決定される。要するに、情報収集はマネジャーとしてのその他の仕事のすべての基礎であり、私もそれを行なうために1日の多くの時間を積極的に費やしている。

マネジャーの仕事のほとんどは、労働力、金、資本、といった経営資源の配分と関係がある。だが、マネジャーが毎日毎日配分する唯一無二の重要な資源は、本人の時間である。原則的にいえば、金や労働力や資本は必ずもっと手に入るが、マネジャー自身の時間は、誰もが絶対に有限な形でしか持っていない。したがって、その割当てと使用に相当の注意を払わなければならないのである。自分自身の時間をどう扱うかは、役割モデル兼リーダーであるということの最も重要な側面である、と私は考える。

決定をしないということはネガティブな決定をするのと同じである。

モニタリングの頻度は、あなたが考える部下の〝通常の一般的〟仕事能力を基準にするのではなく、特定の仕事での部下の経験と以前の実績──後で詳しく説明する「タスク習熟度」──を基準にすべきである。部下の仕事は回数を重ねるごとに向上するので、モニタリングの強度はそれに応じて減じるように対応しなければならない。

経営管理のテコ作用を構成する重要要素のひとつは、マネジャーが抱える部下の数である。充分な人数がいなければ、テコ作用が弱まるのは明らかである。さりとて人数が多すぎれば動きが取りにくく、結果は同じになる。おおよその経験則でいえば、監督業務の多いマネジャーは6人から8人ぐらいの部下がよく、3、4人では少なく、 10 人では多すぎる。

マネジャーの時間の使い方

最も多く取り上げられた問題は、自分が〝コントロールできないことによる仕事の中断〟である。これは監督的立場にあるマネジャーにもノウハウ・マネジャーにも著しく共通していた。こうした中断が「自分たちの」仕事の邪魔になっていることは誰しもが感じていた。その発生源は同じで、ほとんどが部下から、および、マネジャーの直轄組織ではないが影響下にある人々から発していた。たいていの場合、製造関係のマネジャーなら製造作業員から、マーケティング関係者なら外部の顧客から、つまりひと言でいうと、そういったミドル・マネジャーの権限と情報を用いる人たちから発生していた。  そこで提案された解答のほとんどは実用に適さないものだった。一番多くあげられたアイデアは、各人の仕事にまとまった時間を個人の仕事に向けられるように物理的に身を隠す、つまり邪魔されないようにするというものであった。これはあまり感心できる答えとはいえない。邪魔している人の持つ問題は正当なものだからである。マネジャーのほうが隠れて相手をしないのでは、問題はたまるばかりだろう。ある時間帯はマネジャーに話しかけぬよう、顧客にほのめかしてはどうかという「解答」もあった。これも好ましくない。

生産原則の〝バッチ処理〟、つまり、同じような細かい仕事を一括処理する方法を用いれば、部下から来る数多くの中断要素をまとめておいて、次章の主題であるスタッフ・ミーティングあるいは 一対一 ミーティングで、これをランダムではなく処理することができる。

マネジャーには2つの基本的な役割があるので、2種類のミーティングが基本的にある。ひとつは〝プロセス中心〟のミーティングと呼ばれ、そこでは知識の共有化と、情報交換が行なわれる。こうした会合は定期的に開催される。もうひとつのミーティングの目的は、具体的な問題の解決である。〝
使命中心〟と呼ばれるこの種のミーティングでは〝意思決定〟をすることが多い。

プロセス中心のミーティングを最大限に活用するには、会合に定期性を持たせるように心がけねばならない。いいかえれば、出席者はミーティングがどう進行するのか、どのような実質的事項を論議するのか、何を達成するのか、を心得ていなければならない。ミーティングは、マネジャーが処理事項を「ひとまとめ」にしてバッチ処理をしたり、「生産」の場合と同じように準備時間と努力をもって類似の管理業務を扱えるように計画がきちんとできていなければならない。

ワン・オン・ワンMTGについて

インテル社で、ワン・オン・ワンというのは監督者と部下の間のミーティングのことで、仕事上の関係を維持する重要な方法となっている。その主な目的は、相互に教えたり、情報を交換したりすることにある。特定の問題や状況について話すことによって、監督者はスキルやノウハウを部下に教え、物事のアプローチの仕方を提案できる。同時に、部下のほうは自分が何をやっているのか、何に関心があり心配しているのかの情報を監督者に詳しく伝えられる。寡聞にして、定例的に予定した形でのワン・オン・ワンというのは、インテル社以外ではほとんど見ることができない。

上司と部下が偶然に出会うのと、あるいは具体的な問題を解決するミーティング(使命中心)とでさえ、ワン・オン・ワンとは格段の差があるのだ。

ワン・オン・ワンを実施する頻度はどのくらいが適当か。あるいはこう設問してもよい──こういったミーティングがどのくらい頻繁に必要とされるかを、何を基に決めたらよいのか。答えは、部下一人ひとりの〝職務または課題 での習熟度〟である。いいかえれば、ある特定の部下が、目下取り組んでいる特定のタスクについて、どの程度の経験を持っているかである。

使命中心MTGについて

検討事項に関してプレゼンテーションをする人々たとえば、マーケティング担当の監督者グループ──は、できるかぎりスライドのような視覚材料を使用すべきである。人間には耳だけでなく、目もある。目と耳を同時に使えば、聴く人々にとって話の要点がきわめて理解しやすくなる。だが、注意しなければならないことがある。あまり夢中になって頻繁に視覚材料を使うと、すべてのチャートをめくりきろうとして、肝心の言いたいことが伝わらないこともある。経験原則としては、表、数字、グラフィックスなどを含む視覚材料ひとつにつき4分間の説明や討議が妥当かと思う。説明者は、強調したい点を色ペンや指し棒などではっきりと示さなければならない。また、説明している間は、聞き手をタカのような目でじっと見つめていなければならない。とくに、顔の表情や身振り態度を観察していれば、相手が、言いたいことをよく理解したのか、ある部分をもう一度説明し直す必要があるのか、それとも退屈しているので急いで先へ進めなければならないのかがわかるはずである。

聞き手側もきわめて重要な役割を果たさなくてはならない。良いミーティングのきわ立った特徴のひとつは、聞き手が質問をしたり、意見を述べたりして積極的に参加することである。

知識や情報交換のために定期的にスケジュールに組まれて開かれるプロセス中心ミーティングとは異なり、使命中心のミーティングは特別な目的のために随時開かれるのが普通で、特定の成果を上げるために、それも多くの場合、一定の意思決定に到達するようにと企図されている。このミーティング成功のカギは司会者が何をやるかにかかっている。公式に司会者と呼ばれる人がいないことも多いが、どういう名前で呼ばれようとも、通常、ひとりの人間がミーティングの結果に対して、より深くかかわっており責任を持つ。事実、ミーティングを召集するのはふつう司会者か実質的司会者であり、その貢献すべきことはむしろミーティングが始まる前に固まっていなければならない。ところが、司会者が他の出席者と同じような気持ちでミーティングに姿を現わし、それでいて万事自分の思いどおり進行すればよいなどと願っていることがあまりにも多い。使命中心のミーティングが召集された目的を達しないときは、その責任は司会者にある。

MTGで司会者がやるべきこと、またマネジャーのMTGでの使命

司会者はミーティングの目標──何をする必要があるのか、どういう意思決定をしなければならないのか──をはっきりと理解していなければならない。

どうしてもミーティング開催の必要があるとなると、司会者は次のような一連のことに対処しなければならない。第一の事項は出席者に関することである。司会者は出席すべき人を確認し、その人たちをミーティングに来させるようにしなければならない。ミーティングの開催を告げて、なんとか出席してくれればありがたいなどと願うだけでは充分ではない。フォローアップして約束を取りつけることが肝要である。召集をかけた人が来られないときは、代弁する権限のあるものを送らせるように取り計らうことである。具体的な意思決定のため召集するミーティングは、出席者が6、7人以上になると、スムーズに動かなくなることを忘れてはならない。8人が絶対に打ち切るべき上限である。意思決定は見るスポーツではない。見物人はやることの邪魔になる。

ミーティングが終わったら、司会者は行なわれたことを正しく確かめて、議事録を送り、議論の内容、決定事項、取るべき処置などを知らせる。それも、出席者が出来事を忘れてしまわないうちに、すばやく議事録を渡すことがきわめて重要である。また、議事録はできるだけ明瞭かつ具体的に記録し、何をしなければならないのか、誰がするのか、いつやるのかを読み手にわからせる。わずらわしく感じるかもしれないが、いやしくもミーティングにそもそも召集価値のあるものだったなら、議事録の作成にかかる手間は、最大限の利益の確保のためのちょっとした追加投資(しかも高いテコ作用を持った活動)にしかすぎない。

意思決定をすること、もっと的確にいえば、意思決定の過程に参加することは、あらゆるマネジャーにとって、毎日毎日行なう重要、かつ本質的な仕事のひとつである。

議論が白熱してくると、通常、参加者は事態の方向を感知しようとして、どんな見解が優勢であるかを見きわめるまで腰を引いていて発言しようとはしない。そういうとき、負け戦となるような立場に 与しているとみなされるのを避けるために優勢な意見のほうを支持する。一見、奇怪に思えるかもしれないが、そういう行為を奨励している組織も実際にはあるのだ。あるアメリカの自動車会社の苦悩を物語る記事を引用してみよう。「私は、解雇を言い渡された会合で、こう言われました。『ビル、一般に、この会社でうまくやっている人たちは、上司が意見を述べるまで発言を差し控え、上司の発言があったのちに、その意見を支持するよう心がけるべきなのだ』と」。これは恐ろしい管理の仕方である。こういうやり方から生まれてくるものはすべて、悪しき意思決定である。

意思決定の内容や条件をとくに入念に枠組み設定しておかねばならない。ここでもまた、われわれはまさしくそれと反対の行動を取る傾向がある。つまり、ある意思決定にまだ論議の余地があると思うときは、議論を避けるために問題をあいまいにしようとしがちなのだ。しかし、あたりさわりのないことを言うだけでは結局は議論そのものは避けられず、単に延期されるだけになるからである。そうした決め方が不満な人は、その場で率直な話がしてもらえないならば、いっそう腹を立てることになろう。

最後の段階においては、その問題の関係者は誰しもが、そのグループによってなされた意思決定に対して完全な支持をしなければならない。

同僚同士は、会議を仕切って取りまとめるために、上役のマネジャーを求める傾向がある。その上司が、一座の中で最も有能だとか知識豊かな人物というわけでないときでさえそうである。なぜなのか。たいていの人は、自分ひとりだけが出しゃばるのを恐れるからである。次の一文はインテル社のソフトウェア・エンジニアであるジョンの感想である。  人々が同僚の面前で意見を出すことを 躊躇 する理由のひとつは、グループの意見と異なる意見を述べることはグループに反対することにならないかと恐れるからである。その結果、グループ全員がしばらくさまよい、お互いに腹の探り合いをし、誰かがあえて 旗幟 を鮮明にする前のコンセンサスができ上がるまで待つ。グループにコンセンサスができかけたら、個人としての立場ではなくて同僚のひとりが〝グループの意見〟として「〝われわれ〟の立場は……であると私は思う」というような言い方で述べる。グループの名において述べられた意見があまりどぎつくない形で発表されると、あとで、得たりかしこしと不和雷同する連中がそれに飛びつき、その結果、そうした一定の立場がよりもっともらしくなり、いかにも説得力ありげに述べられることになる。

根底にある共通点は、人々が自分の心にあるものをほんとうに自由には話さなかったということである。そのことがマネジャーに正しい意思決定をさせることをいっそう困難にしているのだ。

自信というものは結局のところ、誤ったビジネス上の意思決定をしたり、不適切な行動を取ったり、提案などを上から否決されたりしても、それで死んだ人間はいないじゃないかと腹をくくるところからたいていは生まれてくる。そして、仕事に携わる全員がこの点を理解すべきなのである。

知識パワーと地位パワーの両方の所有者をも麻痺させて身動きをできなくさせるものがひとつある。それは実は単純なことなのだが、〝何か言うとばかだと思われはしないか〟という恐怖心である。

もし意思決定段階に早く入りすぎるかあるいはあまり待ちすぎると、自由討議の利点をフルには引き出せない。こういった際に従うべき基準はこうである……機が熟さない状態では、意思決定を強引に求めないこと。会議の初期段階では、とかく出がちな表面的なコメントよりも、ほんとうの問題点に耳を傾け考慮したかどうか確認すべきである。

基本的には、マネジャーが行なう他のことと同じように、意思決定には〝アウトプット〟が伴う。この場合アウトプットとは意思決定そのものである。経営管理上の他のプロセスと同じように、マネジャーが期待していることを当初に正確に述べておけば、意思決定は、高品質のアウトプットを時期よく産出する可能性がいっそう高い。いいかえれば、経営管理の重要な課題のひとつは、事前に次の6つの重要な質問を自問自答してみることである。
■どのような意思決定をする必要があるのか?
■それはいつ決めなければならないか?
■誰が決めるのか?
■意思決定をする前に相談する必要があるのは誰か?
■その意思決定を承認あるいは否認するのは誰か?
■その意思決定を知らせる必要がある人は誰か

戦略と戦術

何が戦略であり、何が戦術かについては多くの混乱がある。それを明確に区別することにはあまり実際的な意義がないかもしれないが、有益であると思われるものをここにひとつあげておこう。何をやるか計画したことをことばで公式化するに際して、それら意義がある諸活動を煮詰めて最大限に抽象化し、要約したものが戦略である。その戦略を実行に移すために取る行動が戦術である。ある経営管理レベルにおける戦略は、それより高位のレベルでは往々にして戦術となる。

会社の大部分を使命中心形態に組織化する長所は何なのだろうか。それはただひとつしかない。つまり個々の集団や単位が、絶えず自分の事業あるいは製品分野に対するニーズと接触を保ち、こうしたニーズの変化に対して迅速に対応できるという点〝だけ〟である。他のすべての点については、どう考えても機能別編成の組織化のほうに軍配が上がる。しかし、どんな事業でも、その本務は環境からの需要とニーズに応えることであり、この即応できるか否かがきわめて重要なカギとなる。

マネジメントは信頼感が生き続けるのに不可欠な、共通した一連の価値観、目標、手段を開発育成しなければならない。そのひとつの方法としては〝明瞭に表現すること〟がある。つまり、これらの価値、目標、手段を詳細に明示する方法である。

人が仕事をしていないとき、その理由は2つしかない。単にそれができないのか、やろうとしないかのいずれかである。つまり、能力がないか、意欲がないかのいずれかである。どちらかを決めるのに、簡単なメンタル・テストを用いることができる。その仕事に生活がかかっているとすれば、それができるか。答えが「イエス」ということであれば、本人はやる気がないのである。答えが「ノー」であれば、これは能力がないということになる。

マネジャーはどうやって部下にやる気を起こさせるか。一般的に、このことばには、何かを他人にさせるというような含みがある。だが、私にはそういうことができるとは思えない。モチベーションなるものは人間の内部から発するものだからである。したがって、マネジャーにできることは、もともと動機づけのある人が活躍できる環境をつくることだけとなる。

この 30 年ほどの間に、いろいろな新しいアプローチが現われて、恐怖に的を絞った古いやり方に取って代わり始めた。おそらく、そのようなモチベーションへの新しい人間主義的アプローチはその由来をたどって行くと、筋肉労働の相対的重要性の低下と、これに対応する形でのいわゆる知識労働者の重要性の増大ということになろう。筋肉労働者のアウトプットは簡単に測定ができ、期待値からはずれればただちに見つけて、手を打つことができる。ところが、知識労働者の場合には、期待値自体を正確に述べるのが非常にむずかしいので、そういった期待値からはずれたかどうかの判断に時間がかかる。いいかえれば、コンピュータ設計技術者に対しては、ガレー船の奴隷と同じようには恐怖が役に立たないのである。

マズローにとって、モチベーションは欲求〟という観念に密接に連結しており、それは人々に〝 心理的動因〟を起こさせ、やがてそれが〝モチベーション〟になる。欲求は一度満たされれば欲求ではなくなり、したがってモチベーションの源泉でもなくなる。簡単にいうと、われわれが高度のモチベーションを起こさせて持続させようと思えば、いくつかの欲求はいつも満たされないままにしておかなければならないことになる。

人を駆り立ててベストを尽くさせる内面的な力は2つある。〝能力〟に突き動かされるか、〝 達成意欲〟に駆られるかである。能力に動かされるというのは、仕事または課業に熟達することと関係がある。来る日も来る日も練習を続けるバイオリンの名手は、明らかに尊敬や承認への欲求以外の何かに動かされている。自分自身の腕を磨き、今度は前よりも少しでもうまくなろうと努力している。

金銭によるモチベーションには明らかに限界があった。いくら欲しいとあらかじめ決めたところに達すると、それ以上の金も安定した仕事も、もはやモチベーションにはならなかった。

インテル社ではミドル・マネジャーのローテーションを頻繁に行ない、経験を広めるためにグループからグループへと移していった。これらグループはその背景と従事する仕事は類似しているが、アウトプットは大幅に差が出やすかった。マネジャーとそのグループは、生産の高い組もあれば低い組もある。マネジャーの異動はしばしば驚くような結果になる。マネジャーを替えたときマネジャーもグループもそれまでの高生産あるいは低生産の特徴を持続しえないのだ。これは、必然的に、高アウトプットは、ある種のマネジャーとある種の作業員グループの特定の〝組合わせ〟によるという結論を引き出すことになる。これはまた、ある特定な経営管理のアプローチがあらゆる状況で必ずしも効果的ではないことをも意味している。

いつも傑出した仕事をしていた私の同僚のひとりがある若手を雇い、古い仕事の一部を任せて自分自身は新しい仕事にかかることにした。その部下は仕事がうまくできなかった。その同僚の考え方はこうだった。「彼は自ら間違いを経験しなければならない。そうして次第次第に覚えてゆくものなのだ」と。この場合の問題は、部下の授業料を顧客に払わせていることにある。これは絶対に正しくない。部下に物事を教える責任は必ず上司が負わなければならないし、組織の内外を問わず、顧客が支払うべきものではい

考課について

考課は通常2つのことに使われる。第一に部下の〝技能水準〟、つまり、どんな技能に欠けているか、その欠陥を矯正する方法は何かを発見すること。第二に、同じ技能水準の中でより高い業績水準に押し上げるように部下の〝モチベーション〟を強めること、である(

考課プロセスはまた、制度化されたリーダーとしての仕事の中で最も公式的なものである。このときにかぎって、マネジャーは裁判官として陪審員として行動するように定められている。部下について公正な判定を下し、その判定を部下に面と向かって伝えることを、マネジャーは自分を雇っている組織から要求されているのである。

考課は大組織にだけ適用されるものとは片時も考えてはならない。それは2人のアシスタントしかいない保険代理店から、教育、政府、非営利組織にいたるまでいかなる業務、いかなる規模の組織にも適用される経営管理業務の一部なのである。

専門職の従業員の業績を厳密に客観的な態度で判定することは、専門職の従業員の仕事を完全に測定し特徴づけるピシッと決まった方法がないので、非常にむずかしい。たいていの仕事は評価の対象となる期間内にアウトプットが出る活動とはかぎらないものが多い。それでもなお──本当に客観的に測定できるものはアウトプットだけだから、われわれは必ずしも客観的でありえないとはわかっていても──他人の業績を査定する上では、そのような活動に適当なウェイトづけをしなければならない。

最後に、マネジャーを考課するときに判断すべきなのはその業績なのか、それともその監督下のグループの業績なのか。その両方を判定すべきである。最終的に追求しているのはグループの業績であるが、マネジャーはなんらかの方法で〝価値を付加する〟ためにそこにいるのである。考課者はそれが何であるかを決めなければならない。したがってこう自問すべきである。彼はグループと一緒に何かをしているか。新人を雇っているか。部下の訓練をしているか。将来そのグループがアウトプットを改善できるように、何か手を打っているか。専門職の業績を決めるときの最も困難な問題点は、この種の問いを投げかけて判定を下すということにある。

考課の内容を伝えるとき、心に留めておくべき、Lの頭文字のことばが3つある。それは、Level(相手のところまで降りていって率直に)、Listen(相手の話をよく聞き)、Leav yourself out(自分を圏外において、客観的に見ること)である。  マネジャーは部下と「 率直に」話をしなければならない──考課システム全体への信頼性と誠実さが認められるかどうかは、管理・監督者が完全に率直であることによって決まる。そして人を率直なやり方で褒めることは、嫌な思いをしないで人を批判するのと同じようにむずかしいと気づいても、驚くにあたらe

それではあなたの言うことを完全に聞いてもらうためにはどうすればよいか。どんなテクニックを使うべきか。部下にあなたの使うことばを彼のことばにいいかえさせれば充分なのか。そうは思わない。あなたがしなければならないことは、あなたの感覚能力の〝すべて〟を使うことである。話を聞いてもらっていることを確かめるためには、話しかけている相手をよく〝観る〟べきである。問題が複雑であればあるほど、コミュニケーションは伝わりにくい傾向がある。部下はあなたが言うことに適切な応答をしているか。あなたの言わんとしていることを受け入れようとしているか。もし彼の反応──ことばによる表現でも表情などのことば以外のものでも──から、あなたの言っていることが完全には伝わっていないとわかったなら、相手がよく耳を傾け、理解したという満足感が得られるまで、根気よく話し続けることが〝あなたの責任〟である。

良い教授は教室でも同じ方法で教える。自分の言っていることが生徒に理解されるときのことをわかっている。もし生徒が理解していないと思ったら、注意してもう一度同じことを説明するか、異なった表現で説明し直す。誰でも経験がおありだろうが、黒板ばかり見つめてもぐもぐ話し、生徒たちと視線が合うのを避ける教授もいる。こういう教授は、自分の授業がわかりにくくて理解できないことを知っているので、その点をわざわざ自分の目で確認することを避けるために、生徒から視線をそらすわけである。だから、考課を伝えるときは、そんな教授の悪例を真似してはならない。部下があなたの言わんとすることを聞いていると全力を傾けて確認し、彼が受け入れたことがわかるまで、考課の伝達を中止してはいけない。

 業績の良くない人は自分の問題を〝無視する〟傾向が強い。そこで、マネジャーはその真実を示すことができる事実と具体例を持つことが肝要である。部下が消極的に無視するよりは問題を〝積極的に否定する〟ほうが、前者に比べて、一歩前進である。この場合も抵抗に打ち勝つには証拠がものをいう。部下が問題があると認めても、それは〝自分の〟問題ではないと主張するようになると、第三の段階に入る。彼は、代わりに、〝第三者を非難する〟。これは通常の防衛手段である。この自衛手段を使うと、状況を是正する責任と義務を避け続けることができるからだ。  これらの3つの段階は、通常ひとつの段階から次の段階へとかなり速く継続的に起こる。しかし、他人を非難する段階で行き詰まる。もし部下に問題があって、しかも当人が他人を非難し続ければ、解決する方法はない。彼は一番大きなステップ、つまり次の〝責任を負う〟段階に達しなければならない。問題があると主張するだけでなく、それが〝自分の〟問題であると言わなければならないのだ。これは実行を意味するので決定的である。「もしそれが私の問題なら、どうにかしなければならない。何かしなければならないとすれば、それはたぶん不愉快なことだろうし、かなり負坦がかかることは間違いあるまい」と。もし責任を負うとなれば、〝解決策を発見する〟ことは比較的たやすい。なぜなら、他人の非難から責任を負うまでの移行は感情の段階であるが、責任を負うことから解決策を発見する段階へ移行するのは知的なものであり、しかもそれは比較的容易だからである。

最後の段階での起こる可能性のある結果としては3つある。ひとつは部下があなたの査定、あなたの改善案を受け入れて自分でそれをやる約束をすることである。第二は、査定には真向から異議を唱えるが、改善案は受け入れる場合である。第三は、査定に異議を唱え、改善案どおりにやると約束しないことである。管理・監督者としてのあなたは、その3つのうちどれが問題に対して〝呑める〟解決方法だと考えるべきだろうか。

私の考えでは行動を〝約束する〟ことが含まれる結果が出ればそれで充分である。複雑な問題では容易に全面的な一致を見ることなどはない。部下が事態を変えることを約束するなら、まじめに取り組んでいると考えるべきである。ここで重要なことばは〝呑める〟ということばである。マネジャーにとっても部下にとっても、問題とその解決案に同意することが〝好ましい〟のは確かである。なぜなら、部下が熱心に修正方向に向かって努力すると感じ取れるからである。そこである時点まで、あなたは部下とあなたが同意するよう努力を試みるべきである。しかし、それができないなら、事態を変えようという約束を受け入れて先へ進むがよい。仕事上の必要と気持ちの安らぎとを混同すべきでない。事態を動かすのに、部下はあなたの側に立つ必要はない。あなたとしては、決められた行動のコースを追いかけると部下に約束させる必要があるだけだ。人が自分の好まない道を歩くことを期待するのはあまりよいものではない。しかし、仕事でわれわれが求めるのは人の業績であって、心理的な安心感ではないのだ。

部下にある種の〝自己考課〟を作成させてから上司が考課するというのは良いアイデアだろうか。この問題に私は次のように答えよう。自分自身の考課は明らかに本人にとって重要である。そして、本人は上司がこの1年の自分の仕事ぶりをどう見ているか知りたい。もし自分で考課をつくって上司に提出し、そして彼が単に用紙を換えてタイプし直し、すばらしい評点をくれて、それを返してくれたら、あなたはどう感じるだろうか。たぶんごまかされたように感じるだろう。自分が達成したことを上司に告げなければならないようなら、上司があなたのやっていることにあまり関心を払っていないのは明らかである。部下の業績を評価することは、リーダーとして当然なすべき、決まった活動である。

面接(選抜)の方法について

面接の目的は── ■優績者を選抜すること ■あなたがどういう人間か、会社はどういうところかについて教育すること ■お互いに一致する点は何かを見きわめること ■担当職務について納得させること  あなたが自由にできる手段は1、2時間の面接と志望者の照会先をチェックすることである。われわれは、密接な関係を持ち、一緒に仕事をしていながらも部下の過去の業績を査定することがいかに困難であるか知っている。それどころかここでは、われわれは誰かを前に座らせて、まったく新しい環境でどんな業績遂行活動をしそうかを1時間で発見しようとするわけだ。もし人事考課が困難だというなら、面接などはほとんど不可能に近いとすらいえる。しかし、実際のところわれわれマネジャーは、どんなにそれが困難であっても面接する以外に選択の余地がない。ただし、失敗の危険性が高いことは認識すべきだろう。

面接で、あなたにとっても志望者にとっても馴染み深い主題に向かって討議するようにすれば、最大限に洞察力が発揮できる。志望者は自分について話し、経験を語り、これまで何をなぜやってきたか、やり直すとすればどのように違えてやりたいか、などを説明すべきである。しかしこれは、あなたが知っていることばで行なわれなければならない。あなたがその意味を評価できるものであるべきだ。いいかえれば、使われたことばが両者にとって同じ意味を持つ必要がある。  面接では、どんな話題を持ち出すべきか。あるマネジャーのグループがベストと思う質問を用意してくれた。それを次にあげておく。  
──会社よりもさらに上司、とくに直属上司よりもさらに上のレベルの人が重要だとみなしたいくつかのプロジェクトについて話してください。  
──自分の弱点は何か。それをどう除去しようと努力しているか。  
──わが社があなたをなぜ採用すべきかについて、こちらを説得してみてほしい。
──現在の立場で直面している問題はどんなものか。その問題をどのように解決しようとしているか。問題が起こるのを防ぐにはどうすればよかったと思うか。  
──なぜこの新しい仕事をこなせるといえるのか。  
──あなたの一番重要な達成事項は何か。なぜそれがあなたにとって重要か。  
──何があなたにとって一番大きな失敗であったか。それから何を学んだか。  
──エンジニアをマーケティングの仕事にとろうとするのは、なぜだと思うか(これは状況によって質問内容を変える)。  
──あなたの大学生活で重要だったコース、あるいはプロジェクトは何であったか。なぜそれは重要だったのか。

ここで入手すべき情報を分類すると明らかに4つのカテゴリに分けられる。第一にあなたは志望者の〝技術的〟知識に関して理解しようとしている点。つまり工学的または科学的知識ではなく、希望している仕事の達成について、すなわち 技能 水準について相手が何を知っているかである。経理担当者にとって技術的スキルとは会計業務を知っていることである。税理士にとっては、税法である。保険統計数理士にとっては、統計がわかり、保険数理表が使いこなせることである。  第二に、過去の仕事で、どのような 技能 と技術知識を〝使って〟仕事を達成したかである。いいかえれば、志望者が単に知っているだけでなく、知っていることを使って何を〝してきた〟かである。  第三に、知っていたこととしたこと、つまり能力と実績との間にいかなる〝差異〟があったか、その理由を探…

いくつかのプロジェクトを述べさせる  弱点は何か ■知識を使って何をしたか  過去の達成事項  過去の失敗事項 ■差異  失敗から何を学んだか  今の立場で対処している問題 ■仕事上の価値観  なぜ新しい仕事をこなせると思うのか  なぜわが社はあなたを採用すべきか  なぜエンジニアがマーケティング職につくのか  最も重要な大学でのコース/プロジェクトは何か  面接の最終目的は、志望者が会社の環境の中でいかに行動し業績をあげられるか判断することである。ここが、考課に関して強調した原則、つまり「可能性の罠」にはまるなということとは相容れないところである。人を採用しようとするときには、その貢献できる可能性を判断しなければならない。あなたが使える1時間かそこらでもって、以前の雇用環境と新しい雇用環境とを相互に見比べ、当人の過去の実績の説明に基…

相手が尋ねる質問の内容から、当人がすでに会社について何を知っており、何をもっと知りたいか、そしてこの面接にどのくらいよく準備してきたかがわかる。

部下が辞めると言った時にどうするか?

その際今やっていることをすべて即刻中止するべきである。椅子を勧め、〝なぜ〟辞めるのか理由を尋ねる。そして自由に話させる。一切議論をしてはならない。彼は一晩どころか何晩も眠らずにどう言おうかリハーサルしてきたに違いない。辞めたい理由のすべてを(まともな理由ではないかもしれないので)話し終えたら、さらに質問する。〝彼に〟話をさせる。というのは、用意してきたポイントを述べ終えたら、本当の問題点がわかってくるかもしれないからである。議論すべきではない。説教するのもだめ。こちらもパニック状態に落ち込まぬこと。これはほんの小競り合いの始まりであって、まだ本格的な戦争ではない。ここで戦争すれば勝てない。負けるだけ! 彼があなたにとって重要なのだということも、〝あなたの行動〟で伝え、そして、本当に彼を悩ませているものを探り出さなければならない。この時点で決心を変えさせようとしてはいけない。時間を稼ぐのだ。彼が言いたいことをすべて言った後、次のラウンドまでに自分はこれだけ時間をかけて準備をするのが必要なことを納得してもらう。しかし、あなた自身が約束したことはすべて、最後までやり通さなければならないことを認識しておくべきである。

あなたはこの問題解決のプロジェクト・マネジャーとして行動すべきである。その場合、自分の部下としてはいなくなる従業員のためになぜこうまでしなければならないのかと、自問するかもしれない。しかし、これに関する基本原則がある。会社のために従業員を確保しておくことはマネジャーの義務なのである。

部下は、もうよそに仕事の口が決まっていて、今さら取りやめることはできない、と言うかもしれない。今度はそれを取り消させなければならない。あなたは彼が〝2つの〟約束をしてしまっていると言ってやるのだ。つまり、ひとつは漠然としか知らない、これからの雇用主に対し、もうひとつは彼の現在の雇用主であるあなたに対して。そして、毎日一緒に働いてきた人々に対する約束のほうが、最近たまたま知り合った人に対する約束よりはるかに強いのだということを気づかせる。

基本的には2つのタイプの職務遂行要件を「満たす」遂行者がいることがわかるだろう。ひとつはそれ以上はやる気を持たず、もっと上の挑戦に向かおうとしないタイプ。これは競争しない人間。もうひとつの「満たす」遂行者は絶えず競争する人。彼は「要求条件を超える」水準に達するたびに、昇進の候補者になる。昇進を受けると、ふたたび「満たす」遂行者になる。これがピーター博士(訳注:『ピーターの法則』のローレンス・ピーター)の描いた人物である。しかし、われわれは「無能」のレベルに達するまで昇進を続けさせる以外に実は方法がないのである。少なくともこの方法でわれわれは部下をより高い業績に向かって動かしている。そして彼らは2対1の割合で「満たす」レベルに達していき、さらに挑戦的な、困難な仕事のレベルにまで次第に向かうようになる。